安倍元首相の国葬が9月27日、東京・千代田区の日本武道館で行われた。これにあわせて千鳥ヶ淵をはさんだ九段坂公園には一般向け献花台が設けられ、順番を待つ列は市ヶ谷を抜けて四ツ谷を超えたという。
マスコミによる事前の世論調査では反対意見が約半数を占めたが、実際には国葬の開催を支持して自ら参加した人がかなり多い事実が明らかになった。献花の列に並んだ「ポスト団塊世代」の60代週刊誌ライターAさんに、現地の模様と感想を聞いた。
献花台で感じた「自然発生的な弔意」
――安倍さんへの献花の列に並んだそうで。
物書きの端くれとして、こんな貴重な「事件」を目の当たりにしないわけにはいかないでしょう。最初は外から取材しようと思ったんだけど、やっぱり並んで手を合わせてみようと、午前10時ころ九段に向かうと、すでに長蛇の列で。
――どんな人がいましたか。
驚いたのは、僕の前後の人はみんなひとりで来ていたこと。安倍さんの故郷から大挙してとか、どこかの団体が「動員」してとか、夫婦や家族連れとか、そういうのじゃないのに、あれだけの列だとしたら、それってすごいよね。
で、僕が手を合わせていると、喪服を着た中年の女性が来てね。マスク越しにひどく嗚咽しているのが分かった。朝日新聞の「論座」に、阪大名誉教授の三島憲一が「自然発生的な弔意こそが本物の名声」と題して、「強制による儀礼の押しつけでは魂の救いは得られない」とか宣ってたけど、これは自然発生的だろ、と思った。
正直、びっくりした。あの列の長さに、現実の「民意」というものを見せつけられた。たぶん左寄りの政治家やメディアの人たちの中にも、「民意」を完全に見誤っていた、と感じた人はいるんじゃないかな。圧倒的な量だった。
――実際、選挙であれだけ勝ち続けていたわけなので。
でも、選挙って投票率も半分くらいだし、どのくらいの「民意」が反映されてるのか、半信半疑のところもあるでしょう? でも、ああいう風に、まちまちな服装をした庶民が並んでいるのを見ると、安倍さんって本当に多くの人に慕われ、支持されてたんだなと思った。
テレビであれだけネガティブキャンペーンをやってれば、安倍さんに悪いイメージがついてもおかしくない。そういうものにも流されないで、わざわざ足を運び、遺影の前で泣き声が漏れているわけでしょう。やっぱり現場に来ないと分からないものがあるよ。
メディアとデモの「共犯関係」はもう通用しない
――「国葬反対」のデモはいましたか。
いたね。本当に団塊世代くらいの老人ばっかり、とまでは言わないけど、年配がかなり目立っていたな。でも、弔意を示す人々の圧倒的な長蛇の列と比べると、人数は本当に少なかった。粛々と並ぶ個人の列と、同窓会みたいに騒がしい白髪の集団では、迫力が違った。
――テレビでデモ隊ばっかり映してるので、かなり多いのかなと思いましたが。
全然。東京新聞が、国葬に合わせて「デモのうねり今も」なんて記事をわざわざ載せていたけど、……デモなんていうのは、あれは一種のテロリズムだからね。
誰かが怒りをぶちまけている様子を、メディアが大げさに取り上げ、権力者を震え上がらせなければデモは成立しない。デモはメディアとの共犯関係で成り立っているんだよ。デモの写真を載せることで、新聞や週刊誌が売れ、視聴率が上がる時代もあった。
でも、いまは新聞や週刊誌を読む人はいないし、若い人はテレビを持っていない。つまり、あの手法はもう成り立たない。なのに、まだ相変わらず有効な手法だと勘違いしてる人たちがいる。
――じゃあ、社会問題を訴えたり、政治に怒りをぶちまけたりしたい人は、どうすればいいんですか。
いや、別に大声で騒ぐな、と言ってるわけじゃない。警察に届け出をすれば、そういうことをする権利はある。でもそういう、陰でメディアと組んだ正当性の疑わしい手法で、世の中に主張を通す時代じゃないということ。何より、そういうところに「民意」の大勢があると勘違いしちゃいけない、ということだな。
サブカル中年は安倍さんに「父権的」な匂いをかぎとった?
――ところで、なんで安倍さんはあんなに人気がないんですか。いや、結果的には「なんであんなにすごい人気があるんですかね」という方が正しかったわけですが。
安倍さんを目の敵にしている人は、お爺さんの岸信介を引きずり下ろした成功体験を持つ老人のほかに、ネットの中年世代だと、なんだろう……いわゆる「サブカル系」の人が目につくよね。中央線系というのかな。あれ、なんなんだろう。
まあ、サブカルは「父権的」なものが大嫌いだからね。安倍さんからも、そういう匂いがしてたんだろう。偉そうな奴を嫌う、一番偉そうな奴ら(笑)。偉そうでなければ、どれだけ無能でもいい。だから岸田はスルーされてる。まったく賛同できないね。
――そもそも国会議員は国家の存在を前提とし、国民と国土を守る使命がある。
でも、実際には自分の選挙が一番大事で、地元に利益を誘導することしか考えていない議員もいっぱいいるわけじゃない。そんな中で安倍さんは防衛や外交といった、これまであまり票にならないところも強化していった。
まあ、選挙に強いからできることだけど。でも、そうだとしても率直に高く評価すべきでしょう。サブカル連中も「国家は市民の敵」「国家なんて要らない」とか口では言っていても、どれだけ恩恵を被っているのか。国家がないとどれだけ困るか。いい歳して甘えてないで、よく考えてみるべきだよね。
――では、「なんであんなに人気があるんですかね」の方はどうでしょう。
正直、よく分からない。アベノミクスの恩恵を被った人は明らかにいただろうけどね。ただ、きょうの嗚咽を聞いて、政策より人柄みたいなものを慕う人が意外と多いのかもしれないな、とふと考えたよ。
そうじゃなきゃ、あんな泣き方はないと思う。もちろん、メディアを通じてのイメージが主だろうけど…いや選挙で握手でもしたのかな。そこはもしかすると「分かる人には分かる」「伝わる人には伝わる」ものがあったのかもしれない。僕には分からないけどね。
「日本人よ、世界の真ん中で咲き誇れ」の何が悪い?
――Aさん自身は、国葬に反対でしたか。
ときの内閣が決めるなら、どちらでもいいと思ってた。それが国のしくみでしょう。騒動の原因はポンコツ岸田の無能に尽きる。野党は国会軽視とか言ってたけど、数としては決まっている。そこで自分たちの存在感を示したかっただけだから、ただのエゴですよ。
――モリカケを理由にした反対は、どう思いました。
僕はモリカケは現地取材もして、何が問題なのか整理してるから、野党のようにイメージだけで「疑惑は深まった」とか言わない。少なくとも忖度と指示は大違いだよ。だから、「生前の悪行を踏まえると国葬にふさわしくない」とも思わない。
それに加えて、国民からは見えにくい防衛や外交に安倍さんが尽力してくれて、本当に助かった。「隣国を刺激した」とか誰の味方なんだよ。まあ、そもそも国と名のつくものはすべて受け入れ難い、「日本スゴイ」が大嫌いなサブカル中年たちは、そこもかなり気に障ったのかもしれないけどね。
――確かに「日本を取り戻す」と言った時期がありました。あんまり頭よさそうな感じはしなかったけど、そこからメッセージを受け取った人たちもいたのでしょうか。
でもさ、次世代のことを考えれば、多少のふかしはあっても「日本スゴイ」で何の問題もないんだよ。欧米だって中韓だって、かなり盛って「自国スゴイ」と言ってる。こんなに自虐的な国民ばっかりなの、日本だけだって、ホントに。それが功を奏した時代もあったけどさ。
多少のカラ元気でもいいから、自信を持てる国民が増えてほしいと、安倍さんは本気で考えていたと思う。そういえば、菅さんも追悼の辞で「日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲き誇れ」が安倍さんの口癖だったと言ってたよね。
僕は安倍さんを全面的に肯定するわけじゃないけど、政治家の究極の使命って、そういう信念で政治をすることだし、国民にそう信じさせることでしょう。そんな政治家って、ほんと見ないよね。僕はそこを支持するし、「国葬」という機会であらためて確認できたことはよかったと思う。
(付記)
ゆうべAさんから電話があった。こちらは風呂からあがってリラックスしているところだったので、出るのをやめようかと思ったが、結局は話を聞いてしまった。ところどころ笑ってしまい、つい「これどこかに書き残しておこうかな」と言ったら、Aさんが承諾してくれたので、その日のうちにまとめて某メディアの編集部に提出しておいたところ、今日になって没が決まったのでブログに書いておく。掲載していたら、そのメディアも私も非難を浴びたことだろう。それをブログに載せたということは、私だけが非難を浴びるリスクを負ったことになる。
2023-3-7 追記
タイトルの「中央線系サブカル中年」を変えようかどうしようかと考えていたんだけど、とりあえずそのままにして、「反体制はカネになる」の邦訳副題を持つ『反逆の神話』の書評のリンクを張っておこう。
だが本書の真骨頂は、そういう反消費主義が生み出した「自分こそは愚かな大衆と違って資本が押しつけてくる画一的な主流文化から自由な左翼なんだ」という自己認識を体現するカウンターカルチャーのあれやこれやが、まさに裏返しのブランド志向として市場で売れる商品を作り出していく姿を描き出しているところだろう。