「ネコ好きのネコ好き嫌い」――。なんて言葉があるかどうかは分からないが、どうも僕はネコ好きよりイヌ好きの人の方を信用しているというねじれがある。我が家の2匹のネコは愛してやまないのだが、一種の自己嫌悪だろうか。
同じように「本好きの本好き嫌い」でもある。ブックカフェを構想するにあたって、いろんな古本屋をまわって店主の話を聞いたり、古本屋の発言が書いてある本を読んだりしたが、たいがいは気に食わなかった。
一番イヤなのは「本に囲まれていると幸せ」というやつで、それも「ここにある本はほとんど読んでいない」となると、もう頭に血がのぼってしまう。よくそんなものを売ろうとするよな? どんな商売だって自分が売る商品の魅力を十分理解し、それをお客に上手にアピールするではないか。
その程度のことを怠るから「本屋はオワコン」と言われるんだ。いや、オワコンなのは本屋ではなくお前なのに。そのくせ「本が売れない売れない」と嘆く。そりゃそうだよな、売る努力もしないんだから。
ただ、売れないと嘆いている人はまだマシで、配偶者のヒモみたいな生活をしてるくせに「いや、別に売れなくてもいいんですよアハハ」とか言っているのを見ると、他人ごとながら搾取されている陰の人が気の毒になってしまう。
スマホもネトフリもない時代なら「別にそんなにたくさん売れなくてもいい」がダンディズムとして成り立つのかもしれないが、いまの時代にそんなことを言っていても何の美学も感じない。ハナから売れるわけのないものを並べているのだから。それも(繰り返すが)中身を「読んでない」というんだから、知的コンプレックスをインテリ風アイテムで覆い隠そうする様子が鼻につくだけだ。
いや、たぶん「阻害され居場所のなかった私は、本に救われた。だから今度は、私と同じような人が救われるような本屋にしたい」とでも言うんだろうな。まあ、富豪が自腹でやるならいいんだろうけどね。
仲俣暁生さんが面白いことを投稿していた。彼が書いた『橋本治「再読」ノート』が、あるツイート(ポスト)をきっかけにネットで売れたらしい。
テキストに辿り着いてもらうためには「声を上げ」ざるを得ず、ただ黙っていたのでは読まれもしない。でも呟きは呟きでしかないから、本の中身の1%も伝わらない、あるいは決定的な誤解をもたらすこともある。本を読んでくれ、そこに全部書いてある、と声を枯らして叫んでもダメで、効果的な一言は、そうした率直さとはまた違う、芸やひねりが必要になる。
仲俣さんほどの人が「決定的な誤解」を恐れているのはどういうことなのか、と訝しく思ってしまうが、「芸やひねり」という点には心から賛同する。
これに絡めて、ブック・コーディネーターの内沼晋太郎さんが「話しながら本を売る一時間」という企画を行い、成果を上げたらしい
開店直後の11時、ふだんならぜんぜん人がいないこの1時間だけで、本が5万円以上売れました。急遽立ち上げた企画でしたが、可能性を感じました。
一日を通じても、ひそかに目標にしていた過去12年で最高の書籍売上を達成しました。
具体的なやり方は「話しながら本を売る1時間」というB&Bの配信イベントの一部で、Zoomのウェビナー機能を利用したようだ。
で、仲俣さんは関連ツイートをnoteにまとめていて、最後に「著者が黙っていても本が着実に売れる本屋という場所の偉大さ」と書いていた。
確かにそういう側面もあるけど、しかしそこはあんまり持ち上げてもしょうがないだろう、と個人的に思う。人がひとりでコンテンツと向き合う場は無数にあり、もはや本だけの特権ではないからだ。
本屋とは、本を売るために店主が普通の商売としての工夫努力をする場、ということが常識になってほしいと、本屋好きとして希望したい。