もう何年も前、坂本龍一が出演するラジオ番組で大貫妙子がゲストの回を偶然聞いたことがある。そのときの大貫さんのはしゃぎっぷりとデレぶりがもう異常で、これはただならぬ関係なんだろう(あるいは、だったんだろう)と思った。
一方で、80年代以降の大貫妙子の転換――なんでも歌える鋼鉄の喉のヴォーカリストから、力を抜いた澄んだ声の繊細な歌い手へ――の裏には、かなり謎めいたものがあって、
もちろんプロデューサーの牧村憲一氏から「ヨーロッパっぽい音楽をやってみないか?」「声量を要求されるような音楽ではなくて、逆に囁くような歌の方が向いているかもしれないよ」と提案されたということは、すでにいろんなところで語られているけど、
転換後のスタイルが定着したときの表現の深さがあまりに段違いなので、個人的には、もしかすると大貫さんの体験としてかなり深く傷つくことがあって、それこそ声が枯れるほど泣いて泣いて、その孤独を長々と引っ張ってることが影響しているのではないか、などと根拠なく考えていた。
そんな謎を、この年末にようやく解くことができた。坂本龍一が「新潮」に連載している「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」の第2回に、こんな箇所があったのだ。
今だから明かしますが、ぼくは20代前半の一時期、大貫さんと暮らしていました。だけど、別の相手ができたぼくは、その部屋を出ていってしまった。本当に酷いことをしてしまいました。その後、大貫さんと親しくしていた母が、龍一がお世話になったと会いに行ったようです。「お母さまが、清楚な真珠のネックレスをくださいました」と、大貫さんから聞きました。
そして、当時、大貫さんが発表したのが「新しいシャツ」で、この曲の歌詞を聴くとつい泣いてしまう。でも、泣いてしまうのは自分だけじゃなくて、2人のコンサートでぼくができるだけ感情を抑えながらこの曲のイントロを弾き始めると、なぜか客席からも嗚咽が聞こえるんですね。きっと、ぼくたちの昔の関係を知る人がいたのでしょう。
ああ、そんなことがあったんだ。長年のつかえがようやくおりた、自分の誤解や思い込みがあるかもしれないけど、それも含めて、何もかも辻褄が合う気がした。ただ、客席で嗚咽を漏らしているのは、たぶん昔の関係を知っているからだけではない。
「新しいシャツ」が恐ろしいのは、その曲の展開で、最初の歌い出しは何の曇りもないFのメジャーコードで、歌詞も「新しいシャツに」なので、本当に晴れ晴れとした清々しさしかない。
それが「袖を通しながら」と「私を見つめてる」で少し間を開け、「あなたの心が(補:もうここにないことが)」に至るまで、E→D→C→B♭→Aとガンガンと下がっていって、「いまはとてもよくわかる」でC(Fのドミナント)に着地する。
その下降の途中ではマイナーセブンを多用し、表面的な明るさのまま暗さが忍び寄る効果を出している。希望に満ちた澄んだ青空にいつの間にか虚無と絶望が蔓延していたような、「あれ…笑ってたはずなのに目から水が…」みたいな状況を非常に巧みに描いている。
この曲が初めて収められたのは1980年リリースのアルバム「Romantique」で、編曲者、ピアニストとして坂本龍一が参加している。これもすごくいいのだが、二人ともまだこの曲の恐ろしさをそこまで意識していない。というか、恐ろしさに直面することを避けている気がしてならない。
それが、後のセルフカバーアルバム「pure acoustic」に収められたピアノ五重奏をバックにしたアレンジ、あるいはピアノソロと歌うバージョンで聴くと、歌に仕掛けられた絶望感、いままで確かだったと信じ込んでいた足元がズブズブと崩れていく感じが強く出てくる。
個人的には、こういう崩壊感が得られる表現が好きなのだ。というか、基本的にそういうものにしか惹かれない。
で、最後は崩れ切ってしまうのかと思うと、歌詞は「二人で築いた/愛のすべてが/崩れてしまうのが恐いだけ」と続き、「だから何も言えない」でC(あるいはC7)で明るく終わる。こりゃ客席が嗚咽するのも当然だろうと思う。
特に「あなたの」(Am)からの「心が」(B♭m)で、ズボッとはまり身動きが取れなくなる。歌詞と曲の、なんというシンクロ。
この「心が」をもう少し別の角度で説明を試みると、「新しいシャツに袖を通しながら私を見つめてる、あなたの」までは、純粋に外形的、視覚的な世界である。なのに、その次に、いきなり「心が」という内面的というか、非視覚的な世界に入っていく。そこで下降ラインを踏み外したB♭(Fのサブドミナント)が来る。
外形だと思っていたものが内面に続いている。そしてそれが「いまはとてもよくわかる」で終わる一文になっている。もちろん英語でも同じような構造の文を作ることは可能だと思うが、日本語の文末決定性がうまく利用されている詞ともいえるだろう。
大貫妙子のオリジナルの素晴らしさを確認するために引き合いに出すのは気の毒だが、原田知世のカバーと聞き比べてみればいい。
原田は知的で誠実にこの曲に向かおうとしている。なので、歌詞を文章として読み、意味を十分に理解したうえで歌っているのではないだろうか。
それ自体は尊いことなのだけれども、原田の場合は歌い出しから微かな諦念というか、崩壊の予感が立ち込めてしまっている。オリジナルのように、歌い進める瞬間々々で悪い予感が忍び寄ってくるような、ズブズブと崩壊していく感じがない。
時間藝術である歌というパフォーマンスを、「(私は)あなたの心が、いまはとてもよくわかる」という主語-目的語-述語で表す文章の内容に収斂させてしまってはいけない。
決定版は、坂本龍一被害者の会(大貫妙子&矢野顕子)のデュオだろう。間奏で奏でられるボレロに似たリズムは、無類のモーリス・ラヴェル好きの坂本への当てつけ、いや、オマージュにも聞こえる。
矢野は当然、坂本と大貫さんが同棲していたことを知っていただろう。いや、矢野誠と離婚したのが1979年、坂本と正式に結婚したのが1982年ということを考えると、坂本の「新しいシャツ」は矢野だった可能性は低くない(間に誰か挟んでるかもしれないけど)。
なお、大貫さんは坂本と「UTAU」というアルバムを出しているけど、そこに「新しいシャツ」は収められていない。
坂本龍一のサウンドストリート(NHK-FM)に大貫さんが出ている音声は、YouTubeに少なくとも2本ある。1本目は1982年9月21日オンエアーのもので、大貫さんがアルバム「クリシェ」を出した後の回。
2本目は1983年11月15日オンエアーのもので、大貫さんが「シニフィエ」を出した後の回。
ぼくが聞いた番組がどちらかは覚えていない。もしかすると、もっと後だったような気もする。それこそ「UTAU」あたり。
なお、坂本の連載第2回「母へのレクイエム」が掲載された「新潮」2022年8月号は版元品切れで、amazonで3,000円のプレミア価格がついてます(2022年12月30日現在)。