最近、ネットメディアの関係者たちが、盛んに「ダイバーシティ」(多様性)や「インクルージョン」(包摂)という言葉を使っている。
Z世でニュースに関心がある人と話すと、海外経験がある人や留学を考えている人が多くて、そういう人は国際ニュースやダイバーシティ、環境問題への関心が高い。これ、日本だけじゃなく世界のZ世代で言えること。
— 古田大輔 (@masurakusuo) 2020年12月29日
でも、その興味に十分に答えられるニュースメディアが日本には足りていない。 https://t.co/sgkk7M6PFK
「ダイバーシティ&インクルージョン」は1996年から2012年に生まれた「ジェネレーションZ」(Z世代)が重視している代表的な価値観とされているものだ。
しかし、本当に「Z世代は多様性を重視している」と言えるのだろうか?
若者が理想主義的になるのは当たり前
まず疑わしいのが、「ダイバーシティ&インクルージョンの重視」が、Z世代特有のものという定説だ。
言い換えれば、彼らにしかない要因によって「ダイバーシティ&インクルージョン」が支えられているとは思えない、ということである。
単純に考えて「ダイバーシティ&インクルージョン」は、社会経験の浅い若者なら誰もが言いそうな話ではないだろうか。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
(金子みすゞ)War Is Over!(IF YOU WANT IT)
あなたが望めば戦争は終わる。
(ジョン・レノン)
世代を超えて昔から言われていた若者の理想に、大げさなネーミングをしたのが「ダイバーシティ&インクルージョン」のように思えてならない。
Z世代は、最年長者でも24歳。最年少者なら8歳だ。社会経験をほとんど、あるいはまったく積んでない若者である。
若者は現実を知らないので、理念を大事にし(というか、語ろうと思えば理念か、さもなくば、ありものの「問題」について語るしかない)、理想主義的になるのは自然で当たりまえのことだ。それは今も昔も変わらない。
しかし、彼らがいつまでも「みんなちがって、みんないい」などと唱え続けていられるだろうか?
理想だけではサバイブできない
人間、もっとも重要なことは生き残ることだ。いつまでもあると思うな親とカネ。なに不自由なく暮らしてきた坊っちゃん嬢ちゃんも、いつか自力で生きていかなくてはならない。
生きていれば、自分が生き残るためにすることが、まわりまわって他人の不利益となりうることが分かってくる。誰にも迷惑をかけずに生きていくことなどできない。
人生には目的がないが、仕事には目的がある。マニュアルを守れない同僚に「なんで仕事できないくせに、私と同じ給料なのよ」と不満を抱くようになる。
そして上司に「あの子、迷惑なので辞めさせてもらえませんか?」と訴えるのである。
自分以外は敵とまではいわないものの、そうやって若者は、この社会が「ダイバーシティ&インクルージョン」だけでは回っていかないことを学び、現実的な落とし所を探しながら、世間と折り合いをつけていくのである。
それ以前に、自分だけが「ダイバーシティ&インクルージョン」を後生大事にしていてはサバイブできない、という強い危機感に直面することだろう。
要するに「ダイバーシティ&インクルージョン」は、新人類たる「ジェネレーションZ(Z世代)」が大事にしている新しい価値観、という捉え方は怪しい。
マーケティングのコンサルタント会社か広告代理店が「豊かな社会に生まれ育ったZ世代を攻略するには」などといって編み出したセールストークに過ぎないのではないか。
それも米国生まれの概念を、ハイカラな人たちが日本に輸入しただけにしか見えない。少なくとも、日本の若者がそれで生きていけるとは思えない。
マーケティングの果実は「資本家」が得る
無論、Z世代といわれる人たちが、初の完全なデジタルネイティブであることは事実だ。SNSでの人間関係にもまれながら、新しい価値観を生み出しているというストーリーも魅力的ではある。
しかし、それにしては「ダイバーシティ&インクルージョン」という概念自体はそう新しくなく、むしろ金子みすゞとジョン・レノンの焼き直しなのかと思うほど普遍的というか、世間知らず特有の珍しくもないスローガンに見えてくるのである。
いま、大手ネットメディアに関わる人たちが、盛んに「Z世代」とか「ダイバーシティ&インクルージョン」といった言葉を持ち出している。
そして、その価値観に沿わないものを告発する活動家のような記事を、矢継ぎ早に出している。
その方向性は営業担当にも共有され、クライアント企業に「これからは“ダイバーシティ&インクルージョン”の時代ッスよ」と売り込むプレゼンが行われているのだろう。
そこで実際に行われていることは、真の「ダイバーシティ&インクルージョン」とはかけ離れた、スローガンを差異のひとつとして消費しドライブする資本主義そのものである。
「ダイバーシティ&インクルージョン」とは、環境問題やSDGs(持続可能な開発目標)と同様に、いわば商品・サービスを作る人たちを制約する足かせのようなものであり、虚業であるメディアはその足かせに美しい飾りをつけて売り物にしようとしている。
恐ろしいのは、その儲けを最終的に巻き上げているのは、足かせ工場に投資して「カネでカネを生んでいる」資本家だということだ。
「ダイバーシティ&インクルージョン」なんて呑気なことを言ってたら、資本家にいいように使われて終わるぞ――。
本当にZ世代の若者のことを考えていたら、大人はそう言わなきゃいけないのではないだろうか。
格差社会の正体は、マネーリテラシーがあるかないか。これを何故是正しようとしない。左派やリベラルの「理想主義者」たちは。
— 小野登志郎🏂️(オノトチ証券💹) (@onotoshirou) 2020年12月29日
アホか。