非公開になっていた記事が新DANROでいくつか再掲載されたので、久しぶり反省会をやります。
最新の記事から、“平成の終わりに浅田彰『逃走論』を読み返す”を。
先日、ツイッターを見ていたら、同性愛の視点から、ヘテロを前提とした「結婚」というシステムが古すぎる、という投稿がバズっていた。たぶんこの裁判に絡めたものだろう。
#結婚の自由をすべての人に 北海道訴訟
— 「結婚の自由をすべての人に」訴訟 訴訟進捗・資料のCALL4掲載情報お知らせ用 (@CALL404169270) 2020年10月28日
加藤丈晴弁護士が意見陳述しました。
・同性愛者だって異性とは結婚できる
・同性でも、結婚によらずに継続的関係を結べるから、尊厳を傷つけてはいない
といった国の主張へ分かりやすく反論しています。https://t.co/HzcvpiM2p0 pic.twitter.com/RUSmYECGXJ
私たちは、愛する人と結婚する権利を求めているのです。また、そのような愛する人との関係を、国から認めてもらいたいと望んでいるのです。そして、愛するパートナーとのかけがえのない関係が、公認されない関係として、社会に受け入れられないことで、日々尊厳が傷つけられているのです。
まあツイッターなんて、別に深く考えてない感覚で投稿したっていいし、むしろそういうものをウォッチする楽しみがある。
しかし「結婚 古すぎる」で検索すると多くのツイートがヒットし、それらがたいがい「LGBT=新しい、正しい」「ヘテロ=古い」という紋切り型にハマってるのをみると、
本気で「古い結婚」を倒そうと思ったら、もうちょっとよく考えないとまずいんじゃないの? とは思う。
特にお気持ちだけでリベラルやってる人には苦言を呈したくなる。
「パラノ・ドライヴ」は近代国家の背骨
この問題を整理するうえで「逃走論」が示しているスキームは、いまだに有効なところがあると思う。パラノ/スキゾというパワーワードだけで捉えていると軽薄なものにしかならないし、本質を捉え損なう。
逃走論はテキストとしていろんな読み方ができるから、「本質」というようなパラノな表現にはそぐわないけれども、書かれていくこと自体はきちんと読解すべきだ。たとえば下記のような箇所。
さて、もっとも基本的なパラノ型の行動といえば、《住む》ってことだろう。一家をかまえ、そこをセンターとしてテリトリーの拡大を図ると同時に、家財をうずたかく蓄積する。妻を性的に独占し、産ませた子どもの尻をたたいて、一家の発展をめざす。
これが近代文明を成長させてきた(と「逃走論」が指摘している)「パラノ・ドライヴ」の原理だ。
で、我々が生きている社会システムは、細かいところではいろいろ変わってはきたけれど、骨格の部分は近代的な文明観で作られている。
(蛇足だが、トランプ政権や安倍政権の登場で国際的にも「近代」への揺り戻しが来ている、と言ってもいいのかもしれない。いうまでもなく、それは古い近代国家観で統制を強めながら権勢を拡大する中国への対抗策である。)
つまり、逃走論が批判する「パラノ・ドライヴ」を前提として、いまの日本政府が運営されているといえるだろう。
ざっくり言うと、国家は国力を維持拡大するために、国民総生産を増やして成長していかなければならない。成長すれば社会問題は減少し、成長が止まればさまざまな問題や不満が噴出するのは、否定できない事実だからだ。
「結婚制度」は近代国家のインセンティブ
国民経済を成長させるために、国は「法人」にさまざまなインセンティブを与えている。たぶん「結婚」も、法人と同じようなインセンティブと考えると、理解しやすいのではないかと思う。
つまり「結婚」とは社会にとって、愛の問題でも、パートナーシップの問題でもない。むろんそういう部分も全くないわけではないけれども、基本的には「生殖」の問題である。
要するに、人口を維持拡大することは、国力の強化と国家の存続にとって、国民一人ひとりが感じているより重要なことなのである。
だから(近代)国家にとって意味のある「結婚」とは、子どもを生み育てるものだけだし、そういう結婚には、法人と同じようにインセンティブを付与する意味がある。
それ以外の結婚は、国家にとってインセンティブを与える理由がない。LGBTの結婚を国が認めるべきだ、という議論を(近代)国家がいまのところまともに取り合わないのは、そういう意味であると思う。
――以上、これは僕個人がそう思っているのではなく、「パラノ・ドライヴ」をベースに整理した「近代」の原則と「結婚」との関係だ。
そういう原理・原則を踏まえずに、生理的・感覚的に結婚のシステムが古いだの新しいだのと言っても、何の解決にもならない。
「シングルマザー」をめぐるジレンマ
むしろ「パラノ・ドライヴ」を一部リニューアルするときに、「男たちが逃げ出した」現代において、LGTBより優先して手当てされるべきは「シングルマザー」といえるだろう。
シングルマザーは、現に子どもを生み育てている。彼女たちは、近代的な国家の国力維持に貢献しているのである。
では、シングルマザーの支援をもっと強化すればいいのかというと、話はそう単純ではない。「パラノ・ドライヴ」の原理自体をできるだけ維持していきたい近代国家としては、スキゾ()な「やり捨て男」がこれ以上増えてもらっては困るからである。
シングルマザーを国家が手厚く支援することは、「ああ、やり捨てしても国がなんとかしてくれるんだ」と考える男へのインセンティブになりうる。
そのあたりがジレンマなのである。それでもLGBTより、近代的な国家にとってシングルマザーの方がずっと重要に違いない。
状況は「逃走論」の予言通りになった
ということで、近代的な「パラノ・ドライヴ」を前提とする国家社会にとって、LGBTは価値として認められていないことを確認したが、話はそれで終わるわけではない。
「逃走論」の話はさらに続くのだが、つまりあの本は、そのようなパラノ・ドライヴを肯定しているわけではなくて、「逃げろや逃げろ、どこまでも」と逃走を煽っているわけである。
その言葉に乗せられたわけではないだろうが、実際、未婚や少子の傾向は止まらないし、止めようがない。状況は「逃走論」の予言そのままになったわけである。
その裂け目から、個人にとっての愛とかパートナーシップとしてLGBTの存在が浮上してくることは必然である。
問題は、LGBTの「結婚」にヘテロと同じようなインセンティブを与える理屈をどうつくるかである。
LGBTは「国家」に承認されたいのか?
選択肢のひとつは、LGBTは個人の愛やパートナーシップの問題なので、「結婚」などといった古臭い国家システムに組み込まれる必要はない、という考え方だ。
それこそが「逃走論」の行き着く先といえるだろう。
もうひとつの選択肢は――とりあえず近代国家システムの枠組みのままに、LGBTカップルの結婚にもヘテロと同じようなインセンティブを設けることだ。
しかし、実際LGBTの人たちは、本当にこれを望んでいるのだろうか?
まあ、冒頭の国への反論には「愛する人との関係を、国から認めてもらいたいと望んでいる」と書いてあるので、そういう方もいるのだろうが、多くの方はそうなのか?
望んでいるとして、パラノ・ドライヴが要請した生殖としての結婚にインセンティブを設けた近代国家システムとのズレを、どう考えるのだろうか。
「そんな難しいことはわかんない。でもヘテロと同じ権利を認めないのは古い」
などとダダをコネても、たぶん近代国家は何の返事もしないだろう。