「就職氷河期」の少し後に盛り上がった「出版塾ブーム」――。無縁のように見える2つの事象には、実は強い関連性があった。
出版塾のしくみの中心は、ネズミとまでは言えないが「講」のような相互扶助会だったことはご存知だろうか?塾の誰かが本を出すと、それを塾のメンバーが一斉に購入してアマゾンランキングの上位に押し上げる。
それをあてにした出版社が、塾生のコンペに参加して新たな「売り物」を探す。もしかすると参加費として、塾にリベートを支払っていたのかもしれない。
食い物にされた出版塾生たち
塾生は、自分が大して読みたくない本であっても、進んで自腹を切って買っていた。なぜなら、自分が買わなければ、もしも自分が本を出したときに、みんなから買ってもらえなくなるからだ。
だから安くない月の会費に加えて、塾生が出した本は必ず購入し、アマゾンの5つ星のレビューを書くのがルールになっていた。しかし評価が高いわりには、おざなりの感想が多く、本当に感銘を受けた形跡も見られない。
アマゾンレビューだけでない。塾生はそれぞれアメブロを持っていて、本を買うと写真とともに、
「お世話になっている××さんがステキな本を出されました!」
と投稿するのが暗黙の了解になっていた。
本の中身に興味がないのか、大して面白いものではないのか、あるいは夢にまでみた出版デビューの先を越された嫉妬なのかは分からないが、紹介ブログはたいがい鼻水みたいな激薄だ。
それを見た著者も、まあどうせ読んでないんだろうなと分かりつつ「紹介ありがとう!」とコメントし、さらにその様子を見たブログ読者が「僕も買いました!」なんて書いているのを見ると、マーケティング手法としては有効だったのかもしれない。
実態は「プロフィール講座」
肝心の講義はといえば、文章の書き方よりも「自分をいかに売り物にするか」という方向に比重がかかっていた。
そりゃそうだろう。文章だけで引きつけられる人なんて、万に一人もいやしない。代わりに塾生に作らせていたのは、自分が過去の失敗や挫折から、どうやって◯◯になったかというストーリーだ。
要するに「語れるプロフィールを仕立て上げること」がほぼ到達点で、それができれば、もう本はできたようなもの、というコンセプトだった。
その中で、いかに自虐ができるか、ダメ人間語り、失敗語り、しくじり語りができるかという点が大きなポイントになっていた。
しかし、失敗はいくらでもあるし、何だったら創作もできるけど、多くの人は「◯◯になった」という達成部分がない。そこで困った人たちは、軽い「捏造」をしていた。
まぐれで達成した月の売上に12を掛けて年間の実績に見せかけたり、実は大勢いる社内MVPを誇ったり、年商と年収をごまかしたりしていた。
塾長や出版社に強く言われて「かなり盛った」という人は、本当は自分では気が進まなかったが、その程度は大したことではないと叱咤されたという。
「一発逆転」の手段だった出版
なぜ彼ら塾生が、そこまでして「出版」にこだわっていたかというと、本を出すことが、彼らにとって「何者」かになって社会を見返す手段になっていたからである。
彼らの多くは、いわゆる有名大学卒だった。輝かしい社会人生活が保障されているとされたレールに乗ってきた人だ。さてこれから世の中で羽ばたこうとしたとき、企業は採用を極端に絞っており、思うような就職活動ができなかった。
それが彼らにとって大きな挫折(人によっては人生初)になっており、「俺/私を舐めるなよ!」という反骨心と、その他大勢から「早く抜け出したい…」という焦りからの出版のようだった。
「有名大学出ているのに、就職先には恵まれなかったのですね」
などと彼らの前で口を滑らそうものなら、ものすごい形相で睨みつけられた。明言はしていなかったが、言葉の端々に「一発当ててやる」「本さえ出せれば大逆転だ」といったリベンジを狙う強烈な思いが感じられた。
SNSのアイコンがアレの理由
興味深いのは、彼らのゴールは作家ではなく「セミナー講師」だった。確かに本の印税なんてたかが知れているので、講師の方がキャッシュが入ってきただろうが、どうもそれだけではなかったと思う。
そこは「生きてるだけで丸儲け」(誤用)を志向するはあちゅうに通じるところがあった。要するに、人前の高いところから、思ったことをただ垂れ流しでしゃべるだけで、人から感心され、先生などと呼ばれて尊敬される存在になりたかったのだと思う。
その証拠に、彼らはよくマイクをもって喋っている姿をSNSのアイコンにしていた。
儲けるのはいつも「ツルハシ屋」
さて、昨今の仮想通貨の狂騒に群がった人たちをネットで見ていると、このときの「出版塾」に駆け込んでいた人たちを思い出す。
暗号通貨技術に将来性があることは間違いない。しかし、それをまるで通貨のように見立てて取引し、何千万とか億とかの儲けを得ようとするのは、もはやギャンブルでしかない。
もっとも、ゴールドラッシュで最も儲けたのがツルハシ屋とジーンズ屋であったように、仮想通貨バブルで最も儲けを積み上げることができるのは、アフィリエイトと両替商だけであることは自明の理であった。ほとんどの人は「夢を買う」と称して、そういう業者たちに虎の子を吸い上げられてしまった。
彼らは出版塾の塾生たちと同じように「一発逆転」を狙った。もしかすると彼らは、就職氷河期で思うような社会人生活が送れていないと恨みを募らせている、塾生世代の成れの果てかもしれない。
しかし、ある程度の才能を出版社に売り終わった後、出版塾が利確して解散したように、一発逆転を狙った下層、いや仮想通貨バブルに乗った人たちも、本当の勝ち組たちに置いてきぼりにされることだろう。
結局、出版塾で本を出せなかった人たちの本棚には、読む値もなく、古本屋で売れもしないクソ本ばかりが並んでいた。それと同じように、もういくらの値も付かない仮想通貨が残っている人もいるのではないか。
ハングリー精神は貴重だけど
「舐めてんじゃねえぞ、俺らこんな笑えねえ世の中まっぴらなんだよ」(stillichimiyaの「やべ~勢いですげー盛り上がる」より)
そんなハングリー精神の強さは貴重だ。しかしこの歳になると「一発逆転」という想いは、真っ先に足をすくわれるに決まっているとしか思えない。
仮想通貨バブルの初期、冷ややかなコメントをした俺に対し、時代遅れの老害呼ばわりをしたあの若者は、いま息をしているのだろうか? それともまだ、俺は負けたわけではないと粋がっているのだろうか。無論、
「成功するまでやり続けたら、失敗は失敗ではなくなる」
というのも真実だ。別に俺の悪口を言った人に、失敗してもらいたいと思っているわけではない。
しかし、出版塾経由で乱発された自己啓発書も、仮想通貨ブームも、我々には一時的な陶酔しか与えず、それに浸っているうちは「一発逆転」もへったくれもないということに気づくべきではないだろうか。
*noteからの転載時の追記(2021.1.26):儲かったのはツルハシを売る人であったことは確かだが、その後、ビットコインは暴騰したので、多額の利益を得た人がいたかもしれない。その意味では、彼らは一発逆転に成功したのかもしれない。もっとも、最終的に勝ったか負けたかは、死ぬまで分からないのだが。