11月19日のコマエンジェル酒田公演には、東京から予想以上にお客さんが来てくれる。驚くべきことだ。確かにネタとして面白いと思うが、酒田はいくらなんでも遠すぎる。誘っておいてなんだが、酔狂としか思えない。
交通費もかかるけど、いい大人にとって一番の痛手は「時間」だ。電車やクルマで片道6~7時間はかかる。庄内空港は街中から遠いから、寝て起きたら着く深夜バスの方がいいが、身体が大きな人にはつらい。時はカネなり。わざわざ行くなら、ナントカして元を取りたい。
幸いなことに、酒田は食べ物がめっぽううまい。吉田茂元首相の長男で英文学者、作家の吉田健一は食通としても知られたが、毎年11月に決まって酒田に赴き、ひとり料亭に籠もって日がな酒を飲むのを恒例としていた。その様子は著者「酒肴酒」などで読める。健一の娘、暁子もこう書いている。
「父は年に二度、11月には酒田と新潟、2月の末から3月の初めには金沢に出掛けた。金沢に滞在したあとは東京に戻る前に大阪と神戸を訪ねる」(吉田暁子著「父 吉田健一」)
吉田健一は「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。」という名言を遺した人だ。家族を愛し、家庭の些事を大切にしながら、日常のすきま時間を使って自己の個性の発揮を諦めない――。これ以上、コマエンジェルにふさわしい言葉はあるだろうか。
酒田の料理には、吉田健一のいう食べ物への「執着」が感じられる。居酒屋弐番丁(にばんちょう)のおやじも「酒田の食べ物はうまい。ここの人たちの舌は本当に肥えている」と自信満々だった。
実は先に書いた酒田への交通の便が悪いことが、その味覚を独特のものにしている。新幹線が通った金沢の和食が(通によると)壊滅的になったのと同じ逆の理由で、新幹線も通らない酒田の和食は非常にいい形で残っている。
酒田は、海(日本海、飛島)と山(鳥海山)と川(最上川)と平地(庄内平野)の幸に恵まれている。
鳥海山の伏流水と、庄内平野のお米の組み合わせは、日本人にとって最高のごちそうだ。そこに日本海の魚介が組み合わされば、もう向かうところ敵なし。紅葉も終わって寒風吹きすさび、観光客も立ち寄らない酒田くんだりまで11月19日に行く意味は、コマエンジェルと食べ物しかない。
さらに水と米といえば日本酒で、庄内には小さな蔵も含め酒の種類が豊富で、どれも個性があってうまい。新潟の酒よりもちょっと甘めで香りが強めなところが共通点だ。
40年前の酒田大火以来、すっかり人通りの少なくなった本町から日吉町付近でも、飲み屋の暖簾をくぐると人でいっぱいになっている。
もしも新潟から特急いなほで酒田駅に遅く着いたら、荷物を持ったまま駅前の「居酒屋哲平」に立ち寄ってもいいかもしれない。地元の呑兵衛たちがキープした一升瓶を抱えて、幸せそうにしている姿を目にするだろう。この店でうまいのは普通の焼き鶏で、何でもない串が実に滋味あふれる。強めの塩でどうしても酒が進んでしまうが、価格はリーズナブルだ。
夜行バスで朝早くに着き、コンビニのほか開いている店がないと途方に暮れたら、タクシーをワンメーター乗って港に行くことを勧めたい。港市場の「小松鮪専門店」は朝の9時から新鮮でボリュームたっぷりのマグロ定食やどんぶりが食べられる。朝から中落ち丼が食べられたらラッキーだ。
東京から来る観光客には「まるぜん」が人気と聞く。太田和彦さんが行きつけで、TV番組や雑誌で絶賛しているのを目にして来る人が多い。地元の人にとってはあまりに普通の家庭料理かもしれないが、そういう地のものが外から来る人にとって貴重だということを理解すべきだ。小林幸子という名前のママの人柄も、お客をリラックスさせる。油断して飲んで食べると、意外と払うことになるので注意だが、他では味わえない経験と思えば、きっと安いものと感じることだろう。
「割烹 綾(りょう)」は、よそよりも価格帯は高めかもしれないが、落ち着いて庄内の味覚を味わうには適した店だ。このレベルの店は東京でもめったにないし、あったとしても銀座で数倍の勘定になる。居酒屋ではなく、正しい割烹。
吉田類さんの番組で紹介されて有名になった「久村の酒場」は、酒好きなら行ったほうがいい。本体は江戸時代からの古い酒屋だから酒の種類が豊富で、小ロットの貴重な酒も飲める。店員のおじさんおばさんは気さくで、お酒のことなら何でも答えてくれる。
ちなみに(本当は下戸の)吉田類が番組の中でうまいうまいと飲んだ「初孫 魔斬(まきり)」は、初孫(東北銘醸)が地元テレビ局のスポンサーだか株主だかという都合で選ばれたもので、お店としては上喜元を勧めたが「あそこは石数(こくすう)が小さい(=生産量が少ない)のでTVでは紹介しなくていい」ということになったと暴露していてワロタ。
久村の酒場の近くの神社(豪商・本間光丘(みつおか)にちなむ光丘神社。正式名はひかりがおかだが、地元のひとはこうきゅうと読む)の前には古い石畳があるが、その脇にある居酒屋「たちかわ」は素晴らしい仕事をするので人に教えたくない。絶対行くなよ!
酒蔵・上喜元の裏手にある「七ツ半」は、地元の人でいつもいっぱいだ。席数が少なく(ただし座敷あり)メニューも少なく、店主の目に叶う魚がいなければ仕入れないほどのこだわりようだが、魚がすばらしく美味しいので、予約してじっくり腰を落ちつけて飲むにはいいと思う。
以上、酒田の美味をどうしても味わいたい方は、これらの店に寄っておけば問題ない。後ははしごで好きな店を行けばいい。これ以外の店でも、そうハズレはないと思う。
観光客向けに作られた中町の屋台村「北前横丁」には行ったことがなく、クサす地元の人もいるが、評判を聞く限り悪くない。先日地元の人のSNSで「炭かへ」という店が、飛島(酒田から船で1時間ちょっとの小島)のサザエのつぼ焼きを出しているのを見たが、とても美味しそうだった。
ここもそうだが、常連が席を占めていて入りにくいと思っても、観光客の方が偉いと腹を括って割り込んでいこう。ちなみに庄内は大川周明と渡部昇一と佐高信を産んだところね。成田三樹夫と岸洋子もだけど。
ラーメンについては最近の人気店は知らないが、「川柳」と「満月」は昔からお客さんがたくさん入っていた。数年前に川柳に行ったら、街中は閑散としているのに、店の前には静かな行列ができていてワロタ。
酒田のラーメンは飛島のあごだしを使った澄んだスープを使い、ワンタンメンを目玉にしているところが多い。山形県は日本一ラーメン店の多い都道府県として知られるが、酒田のラーメンは独特なのでぜひ食べてもらいたい。
もう昼休みが終わっちゃうので(これは昼休み中に会社で書いている)、日本酒については簡単に紹介するが、酒田のお酒は甘めなので、焼き魚や焼き鶏、練り物には非常に合う。最初の一杯には「上喜元」「菊勇」「杉勇」「楯野川」あたりは間違いがないが、別に好きなものを飲んでもハズレはない。酒と同量の水(氷は不要)をチェイサーにすれば悪酔いしない。
そういえば11月は、1年に1度、上喜元の翁(おきな)が出る時期だ。地元の人はこれを待ち望んでいると聞いたことがある。生産量が少ないので東京ではあまり出回っていないし、ちょっとした自慢になるかもしれない。
庄内で一番有名な蔵は「初孫」で、ひたすら酒ばかり飲む人にはどうかなと思うが、白身の刺し身など淡白な味の肴には合うかもしれない。酒はつまみとの相性もあるので、複数注文して飲み比べてみるといいと思う。
ということで、吉田健一が愛した11月の酒田に行ってみたい人は、ついでにキャバレー「白ばら」に寄ってコマエンジェルを見にきてください! ボックス空けて待ってます。