合間縫う腑に落ちない音楽

肩透かしのカタストロフィは続く

ZARDの「負けないで」は社会主義リアリズムである

ZARDの「負けないで」がヒットしたとき、旧ソビエト連邦の「社会主義リアリズム」を思い出した。美術や音楽、文学というものは、すべからく「バカな労働者」にも理解でき「慰め」と「励まし」として機能しなければならないとする考え方である。

芸術というものは、徹底的に生産主義、社会主義の手段でなければならないわけである。しかしその実態は、はっきりいって1920年代のロシア・アバンギャルドの反動にすぎない。脳ミソ筋肉の労働者や田舎者の政治家には、前衛的な表現は理解できなかっただけだ。

f:id:putoffsystem:20210111004245j:plain

負けないで、もう少し…

「負けないで」は1993年、バブル崩壊が顕在化した年に発表された。高度成長期の終わりの風を感じ、それでもまだそれなりに経済が豊かだったころだ。

とはいえ、何かがミシリと折れかけたような挫折感があることには薄々気づいていて、それで「負けないで」という甘ったるいフレーズが流行った。日本のサラリーマンとその家族は、前衛的な表現を認めないことに於いてはソ連よりもソ連的だった。団塊ジュニアは高校受験を迎えていた。

ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲は、作曲された年こそ1933年だが、1920年代の「退廃芸術」の雰囲気を典型的にまとった音楽である。翌34年に初演した彼の「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を観たスターリンは、激怒して席を立った。その直前の作品である。

ピアノ協奏曲をスターリンが聞いたかどうか知らないが、もし聞いたとすれば、その反生産主義、反社会主義的要素を感じ取ったに違いない。その意味でスターリンは音楽をとてもよく理解しており、こんなものは国の生産性にはまったくつながらないと感じたに違いない。

その考えは正しい。この曲を聞くと、音楽とはなんと壮大なムダなのかという思いに駆られる。そして、「負けないで」の生産主義に感心するのである。

しかし、あんなつまらない歌に励まされる主体の薄っぺらは、どうしたものかと不安にもなる。救いようがない。「負けないで」の社会主義リアリズムに駆逐される日本の音楽環境が旧ソ連より恐ろしいのは、芸術家を迫害する独裁者がいないということである。

常に正しいはずの市場が衆愚となって、凶悪で計算高い思想を持った独裁者のように芸術家に襲いかかってくる。これが日本の恐ろしさである。

こういうときは、トランペットの音が外れすぎていて、もはや音楽として崩壊寸前にふざけている演奏を聞いて気分を中和するしかない。